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津地方裁判所 昭和46年(ヨ)64号 決定 1971年8月03日

申請人 中西安弘

被申請人 昭和石油株式会社

主文

申請人の申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実および理由

第一、申請人の申請の趣旨および理由は別紙申請書のとおりであり、被申請人の答弁および主張は、別紙答弁書(一)および(二)のとおりである。

第二、当裁判所の判断

一、管轄権について

雇傭契約における従業員としての地位に関する訴も民事訴訟法第五条にいう財産権上の訴と解すべきところ、雇傭契約の主たる内容は従業員の労務の提供にあり、従つて雇傭契約関係における義務の履行地は、従業員の労務が提供されるべき場所と解せられる。ところで申請人は、本件仮処分において効力の停止を求める転勤命令の発せられるまでは、被申請会社の出向社員として、申請外昭和四日市石油株式会社(以下単に申請外会社と略称する)四日市製油所で労務を提供していたというものであるから、右製油所の所在する四日市市を管轄区域内とする当裁判所には、申請人の右転勤命令の効力に関する本案訴訟(予定される本案訴訟は、申請人が申請外会社に勤務する出向社員たる地位の確認)につき民事訴訟法第五条に基く土地管轄を有し、従つてまた右訴訟を本案と予定する本件仮処分申請事件についても管轄を有するものである。

二、申請人は、昭和三三年四月申請外会社に入社し、同会社四日市製油所において従業員として勤務していたが、昭和四一年一二月二三日に成立した申請外会社、被申請会社および申請外昭和石油労働組合の三者の間の協定により、昭和四二年一月一日付をもつて被申請会社従業員に転籍し、あらためて同日付をもつて申請外会社に出向を命ぜられ、引続き同会社四日市製油所に勤務していたものであること、被申請会社が申請人に対し、昭和四六年六月一六日付で、同年七月一日から申請外会社への出向を解き、被申請会社中央技術研究所に転勤すべき旨を命じたことは、いずれも当事者間に争いがない。

三、選考の経緯

疎乙第五号証の一ないし八、同第七、第八、第一〇、第一一号証、神林恒三、木下真清、古川浩助各審訊の結果によれば、次のような事実が認められる。すなわち、被申請会社においては、昭和四六年一月同会社中央技術研究所(以下単に中研と略称する)の拡充を目的とする長期五ケ年計画が決まり、同計画に基き中研では昭和四六年度要員として昭和四六年入社内定者或いは新に採用する大学卒三名、試験、研究の経験者一名その他高卒七名の増員を図ることとし、昭和四六年三月二〇日付をもつて、中研から、被申請会社人事部へその旨の要員要請をした。右のうち試験、研究の経験者一名については、中研において新たに他社との共同研究により開発することとなつた金属加工油の研究要員に充てることを予定しているため、学歴としては工業高校卒でよいが、新採用者ではその任にたえず既に一人前の試験、研究員としての経験がある者、すなわち現在Dランク上位にある者で且つ三〇才前後の男子という要望であつた。被申請会社の試験、研究関係の施設としては、中研の他、被申請会社内に川崎製油所、新潟製油所があり、この他申請外会社四日市製油所があるが、このうち、試験課と研究課が併設されているのは中研を除くと右四日市製油所のみであり、且つ同所が人員も四〇名という最多人数をかかえていることから、被申請会社人事部では、中研より要請のあつた前記試験、研究の経験者一名については、右四日市製油所に転出を要請することとなり、昭和四六年五月一四日付で被申請会社より申請外会社へその旨転出の要請をし、右要請を受けた申請外会社では同会社四日市製油所長に対しその人選を指示した。そこで同製油所は右転出者の人選に当ることになつたが、同製油所では現在拡充建設工事が進行中であつて、製造工務部門等における業務体制を動かしたくない等との配慮から、研究部在職者より人選をすることになり、同会社四日市製油所労務課長古川浩助、研究部長木下真清が中心となつて人選を進めた。被申請会社から要請があつた転出者の資格要件としては、中研の要望に則り、昭和三三年以降の新高卒男子で試験、研究業務の経験者であつて且つDランクの者ということになつていたところ、申請外会社研究部在職者の中で右資格要件を充足する者としては、申請人ほか五名であつた。そこで木下研究部長は中研の意向に最も適した者を人選するため、広川中研所長に対し直接電話をかけて中研側の詳細な希望事項等を問合わせたところ、試験、研究双方の経験があり、また中研で担当してもらう研究内容が金属の加工と潤滑油開発に関する研究なのでレオロジーの経験も必要であり、且つ直ちに一本立ちで研究の出来る者を希望する旨の回答があつたので、この中研の希望を重視して前記六名の資格要件充足者の中から適任者を検討した結果、申請人は約三年半の一般試験と約八年間の機器分析、化学分析の経験があり、また申請人がチーフとして最近一年半にわたつて研究した「セリア原油の低温流動性の研究」は、レオロジーに関係するものであつたうえ、その成果は右研究結果をまとめた論文が石油学会誌に掲載される予定であるほどに秀れたものであつたこと、一方申請人以外の五名は、試験、研究の一方だけの経験しかないか或いは一本立ちで研究できる実績がない者であつたことから、中研の意向に沿う最適任者は申請人であるとみられるに至つた。

そこで次に申請人が果して転勤可能か否かを検討するため、家庭事情の調べに移り、申請人から提出されている現況届、現況調査表を調べたところ、同調査表の勤務地に対する希望欄には現勤務地を離れられない事情があるとの項に〇印が付されていたこともあつて、更に詳細な事情を調査することとなり、木下研究部長から申請人に対し中研への転勤を内示のうえ、昭和四六年六月三日、四日、一一日の三日間にわたり申請人の意向やその家庭事情につき事情聴取がなされたが、その席上、申請人は転勤する意思がないからあくまで転勤を拒否したいとの意向を強く主張し、家庭事情については、「転勤ともなれば私生活事情が毀れる。」とか「自分のことは自分でするから聞かないでほしい。」などと言つて多くを話そうとしなかつたので、申請人の妻子、実母更には兄や妹との生活関係について逐一質した結果、現在妹が伊勢市でスモン病の疑いで治療を受けており、申請人の別居の扶養家族とされている実母がこの妹の面倒をみている事情にあることが判明したけれども、それ故に申請人が転勤できない関係にあるという事情については遂に申請人から披瀝されなかつた。そこで申請外会社四日市製油所長は、申請人が最適任者であつて、申請人には転勤の支障となる程の家庭事情もないものと判断し、申請外会社本社に対し、転出要員の適任者として、申請人を推薦し、申請外会社本社から被申請会社にその旨の回答がなされ、これに基き、被申請会社では申請人に対し、前記中研への転勤を命じたものである。以上の事実が認められる。

四、労働協約違反、人事権の濫用の主張について

被申請会社において、従来申請人主張のような同意のない転勤命令はなされないとの労働慣行があつたことを認めるに足る疎明はない。

ところで、疎甲第一一号証によると、労働協約第二一条第一項には、「会社は、業務の都合により、本人の生活事情を参酌して、組合員に転勤を命ずる」旨の定めがあることが認められる。右規定の趣旨は、会社が転勤を命ずるに際しては本人の個人的な私生活上の事情にも配慮すべく、これを濫用してはならない旨を規定したものと解せられるが、会社の発した転勤命令が右協約に違反し、或いは人事権の濫用となるか否かは、要するに個別的な転勤命令に際しての会社の業務上の必要性と本人の個人的な私生活上の事情との比較考量によつて、当該転勤命令が労働者の生活関係に重大な影響を与えずにはおかないことから認められる合理的な制約に違反するか否かによって決せらるべきものと解する。

そこで、申請人の個人的事情について検討してみるに、疎甲第六号証の一二、同第一二号証の六ないし八同第一三、第一四号証、中西あさ江、申請人本人各審訊の結果によれば、申請人の妹中西照子は、スモン病の疑いのある慢性膵炎により昭和四二年から療養生活を続け、現在母あさ江と二人で伊勢市に借家住いをして通院加療中であること、母あさ江は低血圧症候群に罹患していること、申請人は右二名の生活の援助のため、毎月一五、〇〇〇円を送金していること、申請人の妻和子は昭和四六年四月一八日次女を出産したが、その後身体の調子がすぐれず、同年七月一五日ころには発熱したこともあること、また申請人が現在住んでいる住宅は、被申請会社からの借入金等を資金として購入された申請人の持家であることが認められる。しかし他方、中西あさ江、申請人本人、木下真清、古川浩助各審訊の結果、疎乙第一号証の一同第七、第一一号証によれば、妹照子の病状は近時やや快方に向い、婚約者も決り、今秋には再婚したいという話もあること、母親の病状については昭和四五年一二月から同四六年四月にかけこの母親を被扶養者とする組合健康保険による母親の診療実績が皆無であることが認められ、右事実からすれば右両名の現在の病状は緊急性を要するような状態にあることは認めがたく、また前記証拠から、申請人の右両名に対する今迄の援助の態様が主として送金による金銭的なものであつたこと、また伊勢市には真珠の加工、販売を自営する実兄も住んでいることが認められるので、以上の事実をあれこれ総合して判断すれば右母親と妹の病気に対する関係では、申請人が現在地を離れることによる支障は、肉親の別離に伴う通常の精神的苦痛以外には格別のものはないものと認められる。また妻の病気については、同女の病気が将来とも場所的移動を困難ならしめるようなものとは認め難いので、病いの回復をまつため、同女が新勤務地への出立を若干遅らせることとなつて、そのため暫く申請人との別居生活を余儀なくされることはあるかもしれないが、右妻の病気のため申請人の転勤に支障を生ずるものとは認め難い。また住宅については、疎乙第一一号証、古川浩助審訊の結果によれば、新勤務地においては川崎市に社宅が用意されており、また現住居地の持家については、申請人の相続があれば、被申請会社においてその管理につき責任をもつ意向であることが認められるので、住宅関係についても本件転勤による格別の支障があるものとは認め難く、この他には転勤に支障を生ずるような申請人の家庭事情の疎明はない。

申請人の個人的家庭事情が以上のとおりであるとすれば、前記三の選考の経緯で認定したような被申請会社における業務上の必要性とを対比して考えると、申請人の能力を高く評価した抜擢人事ともみうる本件転勤命令が前示協約に違反するとか人事権の濫用になるほどに申請人の個人的私生活上の事情を無視した措置であるとは認められない。

五、不当労働行為の主張について

申請人が昭和三七年九月から同四〇年八月まで昭和石油労働組合四日市支部(以下単に組合支部と略称する)執行委員であつたことについては当事者間に争いがなく、疎甲第一二号証の一ないし四、同号証の六によれば、申請人は昭和三五年三月に組合支部の青年婦人部執行委員に選出され、親睦、学習、リクレーシヨン活動更には地区の他組合員との交流に当り、同年九月から昭和三七年八月までの間は組合支部の教育宣伝部員としてまた同年九月から翌三八年八月までは教育宣伝部副部長として、機関紙「炎柱」の記事を投稿したり或いはその編集、発行を担当し、昭和三八年九月組合支部の組織部長となるや、原潜寄港反対、原水禁運動のデモ行進を組織したことがあり、昭和三九年九月には組合支部の合理化対策部長と中央委員に選ばれて、要員確保斗争、年次有給休暇完全取得斗争に取り組み、昭和四〇年三月に臨時傭員村山マスイの処遇問題につき地方労使協議会が開かれた際には、ビラを配布する等組合支部の意思統一に当り、更に昭和四二年九月から一年間組織部員として活動し、これを最後に組合ないしは組合支部の役員を辞したが、なお昭和四三年九月から一年間職場代議員をしたことが認められる。

以上のほかに、申請人は、昭和四四年秋ごろ会社が就業時間外に手当なしで電子計算機の講習会を催した際、その不当を責め敢えて受講を拒否しており、また昭和四五年一二月に研究課の増員要求をめぐる職場集会において、伊藤課長代理および木下研究部長と激しく論争し、その挙句には伊藤課長代理に対し職場組合員一同の面前で陳謝させたこともあるので、申請人が会社から厄介視されていたことは明らかである旨主張しているが、疎乙第七、第九、第一〇号証、神林恒三、木下真清各審訊の結果によれば、前者の講習会は従業員の要望による任意参加の行事であるため、受講は自由であり、会社側としては申請人が受講しなかつたことなど何ら意に介していないこと、また後者についても、論争は職制対組合員という関係でのものではなく、研究部に勤務する社員同志の立場で研究課の現状と将来の展望につき論議したにすぎず、従つて激論した故に木下研究部長や伊藤課長代理が申請人の職場における組合活動を厄介視していたわけではないことが認められる。

右認定説示の事実によりすれば、申請人は既に二年程の期間組合の役職を離れており、その間特に目立つた組合活動はしていないし、また従前の組合活動も前認定説示の程度では、疎甲第一二号証の一ないし三から窺知しうる同僚らの組合活動と比較しても明らかな如く、特段目立つた活動であつたとは認めがたく、従つて申請人はその組合活動の故に会社より特に厄介視される程の存在ではなかつたとみるのが相当であろう。

かてて加えて、先に認定した申請人選考の経緯と疎乙第六ないし第一〇号証、神林恒三、木下真清、古川浩助各審訊の結果に鑑みれば、被申請会社が申請人の組合活動を嫌悪して申請人を差別的に取扱い、或いは組合の団結を阻害する不当労働行為意思をもつて本件転勤を命じたものとは到底認めがたい。

ちなみに、疎甲第四号証、疎乙第一号証の一、二、同第一一号証によれば、申請人は昭和四六年六月二八日本件転勤命令につき組合支部に苦情票を提出し、同労組の要請により同月二九日地方労使協議会が開かれ、同協議会での協議結果に基き更に組合支部執行委員会で申請人の苦情申出の取扱い方を検討したところ、苦情の内容が取上げる理由にとぼしいとのことで申請人の苦情を取上げないことに決したことが認められるところ、同組合が特に御用組合化しているとの疎明はない。

六、結論

よつて、申請人の本件仮処分申請は理由の疎明がなく、疎明に代る保証を立てさせることも相当でないから、これを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 杉山忠雄 寺本栄一 湯地紘一郎)

(別紙)

転勤命令効力停止仮処分申請書

申請の趣旨

被申請人が昭和四六年六月一六日申請人に対してなした被申請人会社中央技術研究所への転勤命令はその効力を停止する。

との裁判を求める。

申請の理由

第一当事者

被申請人会社は昭和一七年八月一日設立され、資本金四五億円、従業員二千数百名を擁する大会社であり、その目的は、(一)石油及びその副産物の採掘、製造加工並びに売買、(二)石油化学製品の製造加工並びに売買、(三)動植物油脂の製造加工並びに売買、(四)医薬品、医薬部外品農業薬品及び化学薬品の製造加工並びに売買、(五)前各号に付帯する一切の業務を遂行するもので、全国各地に支店、営業所、製油所、工場、油槽所、研究所等をもち、その外に四日市市所在の昭和四日市石油株式会社に資本を投下して子会社とし、同会社四日市製油所を事実上の営業所とし、あるいはここに主たる業務担当者の住所を置き、従業員   名を同所に出向させているものである。

申請人は、昭和三三年三月三重県立松阪工業高等学校工業化学科を卒業し、同年四月右昭和四日市石油株式会社(以下申請外会社という)の四日市製油所において入社試験に合格して現地採用になつたものであるが、昭和四一年一二日二三日被申請人会社、申請外会社、労働組合の協定により、申請外会社を退社し被申請人会社に入社したこととされ、被申請人会社から申請外会社に出向を命ぜられて従前通り申請外会社に勤務するものである。

第二転勤命令

被申請人会社は申請に対し、同四六年六月一六日付をもつて神奈川県愛甲郡愛川町中津字桜台四〇五二の二所在の同社中央技術研究所へ、同年七月一日から勤務するよう転勤を命じた。

第三転勤命令は不当労働行為であるから無効である。

一、組合活動

申請人は、昭和三三年四月に申請外会社に入社し、同年七月労働組合に加入し、

同三五年三月同組合四日市支部青年婦人部が設けられるや、その執行委員に選出され、親睦、レクリエーション、学習、地域の他組合員との交流を積極的に企画する等の活動をなし、

同年九月から同三七年八月までの間、同支部教宣部員に選出され、支部機関紙「炎柱」の記事を書き、編集、発行を担当してきた。

同三七年九月同支部の執行委員に選出され、教宣部副部長に選出されるや機関紙「炎柱」に進歩的な記事を書いたり、座談会での労働条件改善のための発言内容を掲載したりしたが、同三八年五月申請外会社富岡労務課長は「炎柱」を見て「この記事は誰が書いたのか」と詰問するに至つた。

同三八年九月執行委員に再選され、組織部長、同三九年九月合理化対策部長に選出され、原潜寄港反対や原水禁運動のためのデモ行進を組織したり、職場要員の確保や年次有給休暇の完全取得を要求したりして成功した。

同四〇年三月、申請外会社が臨時職員村山ますいを解雇したのに対して積極的にこれに反対し、執行部を動かして申請外会社と団交をなしたり、ビラ撒き活動を行なつたりして解雇を撤回させた。

同四二年九月、身分が申請外会社から被申請人会社に移つて後も、組織部員として組合規約の選挙規定を民主的な方向に改正すべく「選挙方法」の改正や「選挙公報」の発行等をなした。

同四三年九月職場代議員に選出され、職場大会では大巾賃上げ要求等進歩的な発言をなし、職場の意見を卒直に会社にぶつける等して労働条件を改善させた。その後は、役員の席を後輩にゆずり、組合活動は一層意欲的になした。

同四四年秋頃、被申請人会社は就業時間外に手当なしで電子計算機の講習会を始めたが、申請人は労働協約に基き手当を支給するよう迫つたところ、会社は任意受講を求めるものだからと答えてこれに応じなかつた。組合員は職制の個別的切りくずしによつて、受講の余儀なきに至つたが、従業員六二九名中申請人と大藪義克外数名のみが受講を拒否した。

同四五年一二月申請人の所属する研究課では研究業務が多忙になつていくのに、同三八年頃二三名居た研究課員が一五名に激減されていたので、申請人は労働条件を改善するため要員問題を真険にとりあげ、一二月八日職場集会において五名の増員要求を決定したところ翌九日の職場集会において伊藤研究課長代理は「今ここで五名の増員要求を出すと、かえつて事を荒だててマイナスになる、職制と課員の信頼関係がくずれる。皆のとりくんでいる開発テーマの研究をやめざるを得なくなる」等と述べ「五名の増員要求」を「増員要求」に変更させた。

同月一一日木下研究部長は会社の図書室における職場集会において「部長として増員を約束できない。研究部の方針としてはプラントを増設している今は増員する段階ではない。将来四九年以降増設が一段落してから増員を考えたい。この研究部の方針に反することをすればお気の毒な人が出るかも知れない」と述べた。

申請人は部長に対して「お気の毒な人が出るかも知れないということはどういうことですか」と質問したところ、部長は「いや、そういうことにならないようにということだ」と言葉をにごした。

申請人はこうした職制の発言を不満として同日その発端となつた右課長代理の発言を職制の組合運営に対する不当介入であるとして、これを認め謝罪するよう要求したところ、課長代理はこれを認め、申請人が「今後このような不当介入は止めるか」と詰めよつたのに対し、集会の席上「はい」と頭を下げて謝罪した。

申請人は、また、職場内活動として囲碁大会や送別会等の世話役を引き受けたりして、民主的な明るい職場をつくる中心人物となつて組合員の信望を集めていた。

二、不当労働行為意思

会社はこうした申請人の組合活動を嫌忌して組合の団結を阻害する不当労働行為意思をもつて転勤命令をなしたことは、前記研究部長の「お気の毒な人が出るかも知れない」という発言や、いやしくも職制が職場集会の中で謝罪させられているということ、毎年四月及び九月の人事異動の慣例に従わず、しかも六月申請人ただ一人を、しかも神奈川県という遠隔地に追いやろうとしていること、研究課員が不足している現状を顧ず、しかも増員の要求中になされていること、申請人の家庭の事情を何ら斟酌せずしてなしていることからも、明らかである。

第四転勤命令は労働協約並びに労働慣行に違反する人事権の濫用であるから無効である。

申請人は申請外会社の現地採用で入社し、試験課に配属され、製油工程における管理研究をなしてきたが、会社の一方的な都合で、アルミ圧延油の研究というまつたく筋違いの研究へと労働契約の内容を変更され、申請人としてはその経験も技能も発揮し得ないものであり、転勤先が神奈川県という遠隔地にあり、申請人にとつては、この転勤は考えもしなかつたものである。

かつて会社から申請外会社従業員としての出向社員に転勤が命ぜられた例は二件しかないが、その一件は昭和四四年四月加瀬浩久研究課員が郷里が東京にある関係で本人の希望によつてなされ、他の一件は、同四三年広川隆一部長が転勤先の所長として栄転したものであり、申請人の場合は、本人の同意もなく、また転勤先の研究員が博士号所有者や学卒者が大部分であるところから推して、申請人にはアルミ圧延の研究には知識も技能もないところからしても、「試験管洗い」等の下働きとなる可能性が大であり、賃金が上るわけでもなく、昇格がなされるわけでもないことを併せ考察するなら、申請人の労働条件が低下することは明白である。

前記二例の外、転勤を命ぜられた例がないので、むしろ同意のない転勤命令はなされないという労働慣行が確立していたともいえよう。

労働協約第二一条によれば「本人の生活事情を参酌して転勤または配置転換を命ずることがある」と規定されている。本人の生活事情を斟酌するなら本件転勤命令は申請人にとつて耐え難い苦痛であり不利益取扱であることは明白である。

すなわち、申請人は六三才の母あさ江と妹照子と同居して扶養してきたが、妹はスモン病で苦しさにころげまわり、母は低血圧症候群の持病をもち、しかも申請人は昭和四二年七月長女智子、同四六年四月次女あゆみを設け、妻は産後の肥立が悪く旅行や生活環境の変化に耐えられる状態ではない。

申請人はこうした病人三人と乳飲子を抱え、借金もかかえ、文字どおり火の車の生活の大黒柱である。

会社はこうした申請人の生活事情を問いたずねることもなければ調査をしたこともなく、何らこれを斟酌することもなく転勤命令を下したのである。

会社は特段の合理的理由をもつて申請人に対し転勤命令をなしたわけでなく、また特に申請人でなければならない相当の理由があるわけではない。

しかりとせば、転勤命令は労働協約に違反するばかりでなく、申請人に対して合理的に認められる範囲を超えて不利益を与えるもので、信義則上是認し難いものであり、人事権の濫用であり無効といわなければならない。

第五保全の必要性

以上によつて明らかな如く、右出向命令が無効のところ、申請人がこれに応ずることは回復し難い損害を蒙ること、これに応じなければ不当な懲戒解雇処分を受けることは、火を見るより明らかである。

よつて本申請に及んだ。

(別紙)

答弁書(一)

一、本訴申請についての管轄裁判所は被申請人の本社の所在地を管轄する東京地方裁判所であつて、津地方裁判所ではない。

(一) 申請人は本訴申請が津地方裁判所の管轄に属すとの根拠について

(1) 四日市市所在の昭和四日市石油株式会社に資本を投下して子会社とし

(2) 同会社四日市製油所を事実上の営業所とし

(3) ここに主たる業務担当者の住所を置き

(4) 従業員   名を同所に出向させている

としている。

しかし乍ら

(1) 昭和四日市石油株式会社については、被申請人会社の外三菱石油、シヱル会社の三社の出資によつて設立せられたもので、被申請人会社の子会社ではない

又昭和四日市石油株式会社の本社は東京都千代田区丸の内二丁目三番地に所在し、四日市市ではない

(2) 昭和四日市石油株式会社四日市製油所は石油等の製造加工のみで、販売等の営業行為は一切していない

況んや同製油所は被申請人会社の事実上も名目上も営業所ではない。

(3) 四日市市には被申請人会社の営業所も事務所も支店、工場研究所等一切存在しない

従つて昭和四日市石油株式会社四日市製油所に被申請会社の主たる業務担当者も居なければ、又その住所もない。その他一切事務担当者はいない、又その住所もない。

(4) 只被申請人会社の従業員が昭和石油株式会社四日市製油所に出向しているのみである

従つて被申請人会社の事務所も営業所も一切四日市市には所在しないから民事訴訟法第九条の裁判籍は津地方裁判所にはない

(二) 又本件申請は民法第七〇九条以下に定められた損害賠償を求める不法行為に関するものでもないので、之亦民事訴訟法第一五条の裁判籍もない。

答弁書(二)

答弁の趣旨

申請人の申請を却下する。

との御裁判を求める。

申請の理由に対する認否

第一、申請の理由第一のうち、

一、被申請会社の設立時、資本金、従業員数、事業目的等に関する事実は認める。

二、被申請会社と申請外昭和四日市石油株式会社(以下単に申請外会社という)との関係に関する記述は正確ではない。

即ち、申請外会社の本社は四日市市ではなく、東京都千代田区にあり、被申請会社がその株式の五〇%を保有している。又申請外会社の四日市製油所は営業所でなく製油所であり、ここには被申請会社の業務担当者は存在しない。

三、申請人の学歴及び申請外会社への入社年月日は認めるが、採用に本社現地の区別なく単に当初の勤務地が四日市製油所であつたに過ぎない。申請書記載の労働協約により、申請人が昭和四二年一月一日以降被申請会社の従業員となり、被申請会社から申請外会社に出向を命ぜられたことは認める。

第二、同第二に記載の事実はこれを認める。

第三、同第三に記載の、転勤命令は不当労働行為であるから無効であるとの主張は争う。

一、申請人の組合活動について、申請人が昭和三七年九月より四〇年八月まで、昭和石油労働組合の四日市支部の執行委員であつたことは認め、昭和四三年九月から四四年八月まで、同労働組合四日市支部の職場代議員に選任されたこと(但し、職場代議員は労働協約にいう組合役員ではない)は不知。申請人はさしたる組合活動はしていなかつたものである。その余の事項については誤りがあるので、後に反論する。

二、被申請会社が不当労働行為意思を以つて本件転勤命令をなしたことは否認し、申請人の主張はこれを争う。

第四、同第四記載の転勤命令が労働協約並びに労働慣行に違反する人事権の濫用である旨の主張は争う。

一、申請人は、入社以来試験課のみならず研究課にも配属され、昭和四六年五月には研究課に配属されていたものである。申請人の研究範囲は、製油工程における管理、研究に限定されない。

二、申請人が転勤先である中央技術研究所で行うべきアルミ圧延油その他金属油の研究は、後記のとおり、申請人の従前の研究と密接な関係をもつものであり、これが本件転勤命令の発せられるに至つた理由である。従つてこの点に関する申請人の主張は否認する。

三、被申請会社から申請外会社四日市製油所への出向従業員に転勤命令の出されたのが申請書記載の二件であるとの事実を否認する。後記のとおりこの事例はここ一〇年の間でも九十数件にも及ぶものである。

四、申請人が転勤先である中研で行う業務内容は、試験管洗い等の下働きではなく一本立ちの研究員である。

五、同意のない転勤命令はなされないという労働慣行のあつた事実は否認する。

六、本人の生活事情に関する事実のうち、申請人が母あさ江及び妹照子と同居してきたとの点は否認する。妹がスモン病であるとの事実は不知。

七、被申請会社は、後記のとおり、申請人の生活事情をも調査し参酌の上、本件転勤命令を発したものであつて、これは人事権を濫用したものではない。

被申請会社の主張

第一、本件転勤命令の必要性について、

一、転勤命令の手続

申請人は、被申請会社の従業員であつて申請外会社に出向を命ぜられその四日市製油所に勤務中のものであるが、被申請会社と申請外会社との間の密接な関係から、労働協約上、前者より後者に対する出向、並びに後者より前者に対する復帰は労働協約第二一条にいう「転勤」の中に含まれている。

而して、本件転勤命令は、被申請会社中央技術研究所(以下中研という)より同人事担当取締役宛研究要員の要請が行われ、同取締役より申請外会社取締役総括部長宛、同部長より同四日市製油所長宛各要請が行われ、四日市製油所にて人選を決定の上逆に順次回答が行われ、正式に被申請会社より、六月一六日、人事異動が発令されたものである。

二、中研における研究要員拡充の必要性

中研は、被申請会社及び申請外会社の研究機関の中枢部門であるが、被申請会社の昭和四五年度長期経営計画の決定に伴い、その体制を拡充する必要が生じ昭和四六年度には大学卒三名高校卒八名を増員することとなつた。高校卒についてはそのうち七名は試験研究補助員として中途採用者を以つて充員したが、他の研究員一名については社内のロテイシヨンによつて充員することとした。

その職務の内容は(1)金属加工油(熱間、冷間、アルミ各圧延油、引抜き油)及び(2)各種防錆油の開発を主としたものであり、特に金属加工油(塑性変形に用いる潤濶油)の開発には、レオロジー(変形学)の研究が密接に関連性を持つので、そのためにはレオロジー研究の経験者を必要とした。

そこで中研は、右のうち社内のロテイシヨンによる人員拡充要請に当り「三三年以降の新高卒男子で試験研究業務の経験者、Dランククラス上位者」を資格要件と記載したが、Dランククラス上位者とは研究員として一本立が出来る者であり、この要件に該当する研究員のいる製油所は四日市製油所のみであつたので、被申請会社人事担当取締役において検討の上、申請外会社四日市製油所宛に試験研究要員の要請が行われた次第である。

三、四日市製油所における申請人選考の経緯

右要請を受けた四日市製油所では、木下真清研究部長が選考の任に当つたが、木下部長は具体的な研究テーマを知るため、広川隆一中研所長に問合せたところ、前述の如き金属加工油引き抜き油等の研究が主体であり、直ちに一本立ちで研究のできる人でレオロジーに経験のある人が望ましい等の要件を聞いたので、その要件に添つて選考を進めた結果申請人が最適任者であるとの結論に達したのである。というのは、申請人は、研究部内で約三年半に亘る一般試験と約八年間の機器分析、化学分析も豊かであり、最近一年半の間にも「セリヤ原油の低温流動性に関する研究」等の論文を石油学会に提出しているが、この研究は学問的にみてとくにレオロジーの見地からの独自の研究であつたからである。

而して、木下部長としては生活状況についても一応四日市製油所労務課の保管する従業員名簿や現況届により調査し、別居家族たる母あさ江がいるだけなので支障なしと考えたが、更に本人に会つて何か特に転勤に支障のある特殊事情があるか等を調査するため申請人に内示前に意向打診を行つたものである。

昭和四六年六月三日、木下部長は、申請人に対し、中研における研究の内容を説明し、中研での研究が申請人の研究者としての将来に有益であるから是非行つて貰いたいこと、住宅事情については転勤先に社宅を用意しており、且つ申請人の自宅の利用方法については会社が配慮してくれるので心配はいらないと述べたところ、申請人は突然の話なのでよく考えさせてほしいと答えた。木下部長は、ぜひ中研へ行つてほしいと言つて、その日は別れた。

翌日、申請人から木下部長に対し転勤の話は断りたいと申出たので、その理由を尋ねたところ、単に意志がないということであつた。そこで詳しい理由を知るつもりで家庭事情等について聞いたところ、申請人は、母は伊勢市に住みこれといつて持病がないこと、奥さんと子供は健康でありパートタイムのアルバイトをしたいこと、妹は結婚後スモン病にかかり離婚し、今は伊勢市で母と暮し療養中であるが快方に向いフイアンセもできこの秋には結婚する予定である旨述べた。木下部長は、転勤に支障になるような理由がないか聞いたが、単に私生活を破壊されたくないから転勤は断りたいということであつた。

そこで木下部長としては、右のような事情の下では、転勤を拒否すべき正当な理由なしと考え、中研へ中西を補充要員として推薦し、被申請会社は七月一日付で申請人に対し中研に転勤するべく同月一六日に正式に内示を行つたものである。右の経緯により本件転勤命令が発せられたのであり、これは業務上の必要性に基づき、仕事の性質や本人の生活事情を慎重に考慮した上で行われたものである。

申請人は、その申請書中で、その生活事情につき述べているが、母及び妹と同居していないのに拘らず同居していると書き、又妹が快方に向い、結婚の見込であることを隠弊する等事実を誣いるも甚だしいものである。

このことは、後述のとおり、申請人の所属する昭和石油労働組合四日市支部において、申請人の苦情の申立を却下した際の調査の中でも明記されているところである。

四、尚、申請人の主張する如き、同意を得なければ転勤命令を発しない旨の労働慣行は全然存在しないものである。

五、又申請人は、申請外会社へ出向された従業員に転勤の命ぜられた例は二件しかないというがこれ又誤りである。

そのような例は過去十年間において九十数件にも上つており、従前何ら支障なく転勤が行われてきたものである。

以上のとおり本件転勤命令には業務上の必要性があり、又申請人の生活事情をも参酌の上なされたものであるから、これが人事権の濫用となることはあり得ない。

第二、本件転勤命令は不当労働行為に該当しない

一、申請人は、本件転勤命令が不当労働行為に該当すると強弁するが、これはすべてこじつけであり何ら理由がない。以下申請人の掲げる理由のうち主要なものを反駁する。

二、申請人が組合支部役員となつたのは、前述のように昭和三七年九月から四〇年八月までの三ケ年間に過ぎず、その間に申請人に特に顕著な組合活動があつたわけではない。

右役員等に在任期間外は、この期間内よりも更に組合活動については注目すべき点はなく、研究部員又は労務担当課員も記憶にとどめていない程である。昭和四〇年三月頃村山ますいの解雇云々の件も特に申請人の関与した問題ではない。

三、昭和四四年秋頃行われた電子計算機講習会に申請人が受講しなかったとの点であるが、この時行われた講習会は会社の主催したものではなく、研究部の有志が部内に希望者が多いので自発的に始めただけのことであり、何ら強制的要素はなかつた。研究部として業務上電子計算機を用いておらず、これに関する講習会を部員に強制すべき理由もなく、申請人が受講しなかつたために、不利益を受けたことは全くなかつた。又申請人は従業員六二九名中申請人外数名のみが受講しない、というが、従業員全体の講習会はやつたことがなく、昭和四六年一月以降希望者に対して実施したのみであり、受講しない者も多数いる。従つて申請人の記述は誤りである。

四、昭和四五年一二月に起つた要員問題の点であるが、これに関する記述も誤謬である。

研究課の人数が昭和三八年二三名いたのに一五名に激減したというが、研究課の人員はその時々の研究の必要性及び他課への人員配置との関係によつて変更していたものであり、例えば昭和三八年九月一七名、三九年九月一九名となつており、昭和四六年でも三月と六月とで一五名から一九名になつているので、申請人の主張は誤りである。

次に要員問題が労働条件の改善のためにとりあげられたというが、そうではない。要員問題は毎年秋斗で論議される恒例の事項であり昭和四五年秋にも組合支部から研究課に対してアンケートが来たので、研究課の職場集会を開いたところ、「会社の将来のために研究業務の充実をはかるため」ということで五名の増員要求が当日の結論となつた。これは労働条件の改善ということでなく、研究課において単なる試験分析基礎、応用の研究より一歩進んで製造工程及び製品の開発研究をやりたいという研究部員の気持ちのあらわれであつた。しかし研究課で行う業務は主として前三者のみで前記の開発研究を含まないものとされていたのであつたが、部内の希望もあり開発研究も内々に行つてきていた。そこで、増員要求が正式に地方労使協議会に出され論議されるときには、研究課の研究対象が開発研究を含まないと決定され、今迄やつてきた内々の開発研究に支障を来すおそれが充分にあつた。このような結果になるときは研究課員の考えている希望が潰えることとなるので、この点を憂慮し、組合員であると同時に職制でもある伊藤研究課長代理は組合員の集会において組合員としての立場においてその見解を述べ、その後職制としての参考意見を述べ将来開発研究が認められることとなるので、増員要求は現段階ではしない方が得策である旨述べたのである。申請人のみが特に増員要求に熱心であつたわけではなく、伊藤の意見は申請人の労働組合活動を妨害するということなど到底あり得ずむしろ研究課全員のために利益になると考えて行つただけのことである。この際申請人がこの問題で特に伊藤に反駁した事実はない。

又木下部長が発言したというのは、組合活動とは無関係であることを明かにした上でその意見を述べたのであるが、その内容は右と同様に、現段階では増員要求を行い、これが地協において正式に取上げられるときは研究課の職務範囲について問題となるので、結局今迄行つてきた開発研究迄制限されてしまう、その結果開発研究をやつていた人にはお気の毒なことになると述べただけのことであつた。これを申請人は、「研究部の方針に反することをすればお気の毒な人が出る」と言つたなどと曲解し、その転勤問題と関係させようとしているが、この両者は元来何等関係のないところなのである。

右のような事実が本件転勤命令と全く無関係であることは、申請人の昭和四六年六月二八日付の労働組合四日市支部に対する苦情の申立について、支部執行部が研究課組合員等からも事情を聴取した結果これを却下していることから明かとなつている。蓋し、もし本件転勤命令が申請人の組合活動と関係があるならば、この問題について最も敏感であるべき組合が黙つている筈はないからである。

かくて右の諸理由により不当労働行為を理由とする本件転勤命令の不当との主張も全く根拠なきものである。

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